ジムの前に

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前編で、座りすぎの害は、座るという姿勢ではなく、筋を休ませきったまま時間が長く続くことにある、と述べた。体は、動くことを信号として、自らを整えるようにできている。では、その信号を、どう灯せばよいのか。

タンザニアのハザ(Hadza)は、いまも狩猟採集で暮らす人々である。彼らは、ジムに通わない。にもかかわらず、心臓や血管の病を、ほとんど免れている。意外なことに、彼らが座ったり横たわったりして過ごす時間は、1日におよそ10時間に及び、先進国のオフィスワーカーと、ほとんど変わらない[1]。

違うのは、過ごし方だ。

ハザの身体活動は、狩り、採集、歩行、しゃがんでの作業といった、低いか中くらいの強度の動きが、1日じゅう、途切れずに続くことで成り立っている。まとまった激しい運動ではない。分散した、絶え間ない活動。そして休むときも、椅子に沈み込むのではなく、しゃがみ、ひざまずき、地面に座る。これらの姿勢は、脚の筋肉を、歩行の2〜4割ほど使い続ける[1]。前編の言葉でいえば、彼らは休みながらも、筋のスイッチを完全には切っていない。

ただし、ハザを美化してはいけない。彼らの病の少なさは、身体活動だけの産物ではない。食べもの、感染、そして厳しい環境を生き延びた者だけが高齢に達するという淘汰も、関わっている。ハザのように暮らせ、というのではない。ヒトの体が、どういう活動の型を前提に設計されているかを映す、参照点である。

その参照点が指しているのは、こういうことだ。現代人が失ったのは、「運動」ではない。日常の暮らしに溶けこんでいた、低い強度の、絶え間ない活動である。

だとすれば、向かうべき先も見えてくる。週に数回、ジムで激しく動くこと以上に、まず、日常の活動を増やし、座り続ける時間を断つこと。掃除、炊事、洗濯、歩いての通勤、階段、立ってする仕事。これらは、かつては生活そのものだったが、いまは機械と便利さに肩代わりされ、暮らしから抜け落ちた。それを、少しずつ取り戻す。

この処方には、裏打ちがある。日常の何気ない動きでも、筋が収縮すれば、そこから全身へ情報を伝える物質――マイオカイン(myokine、筋から分泌される物質で、インターロイキン6(interleukin-6)などがこれにあたる)――が出て、炎症を鎮める方向に働く[2,3]。そして、体に「修復せよ、維持せよ」という信号が灯る[4]。前編で、筋を休ませることがこの信号を止める、と述べた。その裏返しが、ここにある。特別な運動でなくても、筋を動かしさえすれば、信号は灯るのだ。

実際、1日およそ1時間の、中くらいの強度の活動が、長く座ることのリスクをほぼ打ち消す、という大規模な研究がある[5]。この1時間は、ジムでまとめて作る必要はない。歩いての通勤、階段、家事の積み上げでも、届く。運動という特別な時間ではなく、動く暮らしという地の上に、それは乗っている。

ここで、はっきり言っておきたい。

ジムに通える人は、通えばよい。筋力トレーニングも、山を走ることも、できる人には、良い。だが、それができない人、続かない人が、自分は不健康な道を歩んでいる、とがっかりする必要はない。ヒトの体は、激しい運動ではなく、低い強度の絶え間ない活動を前提に設計されている。日常を少し動かすだけで、体は応える。すでに家事や立ち仕事で一日じゅう動いている人には、それ自体が、体を守っているのだ。

もちろん、余力のある人は、強度を足したほうがよい。心臓と肺の持久力、そして筋力は、それ自体が、将来の健康と長生きに結びつく。日常の活動が土台を支え、その上に、選べる人は運動を積む。否定ではなく、順序の話である。土台を欠いたまま週末だけ激しく動くより、まず日常を動かすほうが、理にかなっている。

これは、座りがちな都会の働き手に向けた話だ。すでに体を酷使して働く人に、さらに動けと言うのではない。

健康をつくるのは、ジムの会員証ではない。一日の過ごし方だ。一日の過ごし方のなかにある。立ち、歩き、しゃがみ、また立つ。かつてのヒトが、生きることと動くことを分けていなかったように。できる人も、できない人も、同じ一日の使い方から、始められる。

文献
[1] Raichlen DA, Pontzer H, Zderic TW, Harris JA, Mabulla AZP, Hamilton MT, Wood BM. Sitting, squatting, and the evolutionary biology of human inactivity. Proc Natl Acad Sci U S A. 2020;117(13):7115-7121. https://doi.org/10.1073/pnas.1911868117
[2] Pedersen BK, Febbraio MA. Muscle as an endocrine organ: focus on muscle-derived interleukin-6. Physiol Rev. 2008;88(4):1379-1406. https://doi.org/10.1152/physrev.90100.2007
[3] Gleeson M, Bishop NC, Stensel DJ, Lindley MR, Mastana SS, Nimmo MA. The anti-inflammatory effects of exercise: mechanisms and implications for the prevention and treatment of disease. Nat Rev Immunol. 2011;11(9):607-615. https://doi.org/10.1038/nri3041
[4] Lieberman DE, Kistner TM, Richard D, Lee IM, Baggish AL. The active grandparent hypothesis: physical activity and the evolution of extended human healthspans and lifespans. Proc Natl Acad Sci U S A. 2021;118(50):e2107621118. https://doi.org/10.1073/pnas.2107621118
[5] Ekelund U, Steene-Johannessen J, Brown WJ, Fagerland MW, Owen N, Powell KE, Bauman A, Lee IM. Does physical activity attenuate, or even eliminate, the detrimental association of sitting time with mortality? A harmonised meta-analysis of data from more than 1 million men and women. Lancet. 2016;388(10051):1302-1310. https://doi.org/10.1016/S0140-6736(16)30370-1

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椅子という発明

座りすぎは、新しい喫煙である。この言葉を、ここ十年ほど、よく耳にするようになった。都会で一日中座って過ごす暮らしは、タバコと同じくらい体に悪い、と。 だが、これは正確ではない。 数字で見ると、座位と喫煙の害は、桁が違う。座りすぎと総死亡の関連は、よく見積もっても2割ほどの増加にとどまる。喫煙は3倍近く、本数の多い人では4倍を超える。超過死亡の数で比べれば、その差はおよそ10倍にひらく[1]。「喫煙と同じ」は、10倍に盛った誇張であり、むしろ健康の啓発そのものの信頼を損なうと、研究者から批判されてきた[1]。 では、ただの言い過ぎなのか。そうではない。座りすぎは、確かに、独立した健康リスクである。問うべきは、その害の大きさではなく、性質のほうだ。 害の正体は、座るという姿勢そのものにあるのではない。筋肉を完全に休ませたまま、長く動かずにいることにある。椅子に深く腰かけ、背もたれに身をあずけると、脚の筋肉はほとんど働かなくなる。筋が完全に弛緩すると、血中の脂肪を片づける酵素リポ蛋白リパーゼ(lipoprotein lipase、LPL)の働きが落ち、食後の中性脂肪が血中に長くとどま

By Yukihiko Kato

口という関門

これまで、皮膚を、腸を訪ねてきた。最後に訪ねるのは、口である。 口は、体のなかでも変わった場所だ。外界に開いた入口でありながら、同時に、消化管という長い管の始まりでもある。硬い面(歯)と軟らかい面(粘膜や舌)が同居する、体で唯一の場所でもある。歯の表面には、菌が自ら築くバイオフィルム(biofilm、菌がつくる膜状の集団)ー歯垢ーが張りつく。唾液に絶えず洗われながら、そこには多様で安定した生態系が保たれている。 この口の生態系が崩れるとき、何が起きるのか。そして、その崩れは、口のなかにとどまるのか。 手がかりは、歯周病(periodontitis)にある。成人の多くがかかる、ありふれた慢性の炎症性疾患だ。歯を支える組織が、じわじわと壊れていく。 長く、これは「悪い菌が増えて起こる病」と考えられてきた。だが、近年の見方は違う。 鍵をにぎるのは、菌の量ではなく、菌のふるまい方だ。Porphyromonas gingivalisという菌がいる。歯周病の患部にいるが、その数はごくわずかだ。にもかかわらず、

By Yukihiko Kato

腸という学校

前回は皮膚を、菌との関係が敵か隣人かで揺れる境界として見た。今度は、体の内側でいちばん大きな生態系に降りてゆく。 腸である。 皮膚が乾いた薄い被膜なら、腸は湿った濃密な発酵槽だ。大腸は、体でもっとも菌の密度が高い場所で、前述の俯瞰で触れた「150倍の遺伝子」の大半は、ここに由来する。また、腸の内腔(内側)は、位相のうえでは身体の外側にあたる。私たちは、外界と最も広い面積で接するこの境界を、菌に委ねて暮らしている。 では、その菌たちが腸で何をしているか?消化を助けている、というだけではない。腸は、免疫が「どこまで応じ、どこで鎮めるか」を習う、体内でもっとも大きな学校なのだ。 まず、腸の健やかさは、特定の善玉菌の有無ではなく、生態系全体の多様性と安定性によく表れる。皮膚編で「均衡」と呼んだものを、腸では「多様性」として引き継ぐ。多様な顔ぶれが揃い、互いに釣り合っているとき、腸の生態系は安定する。 では、その多様な菌は、何を介して免疫を教えるのか。 鍵は、菌の作る代謝物にある。腸内細菌は、

By Yukihiko Kato

敵か、隣人か―皮膚の三つの病

前回、私たちは無菌の器ではなく、覆われた生態系だと述べた。その生態系のなかで、いちばん目に見えるのが皮膚である。皮膚は、外界と隔てる一枚の膜ではなく、場所ごとに気候の違う一つの地形だ。脂の多い額と、湿った腋窩と、乾いた前腕とでは、棲む菌の顔ぶれが違う。脂の領域にはCutibacterium(旧Propionibacterium)が、湿った領域にはStaphylococcusやCorynebacteriumが勢力を張る。同じ一人の体の上に、いくつもの異なる生態系が同居している。 ここでは、皮膚科医として日々診るありふれた三つの病―膿痂疹、にきび、アトピー性皮膚炎―を通して、この生態系と菌との関係が、どこで、どのように変わるのかを見ていく。この三つは、並べる順そのものが一つの論証になる。菌との関係が、外からの侵入から、内なる均衡の乱れ、そして生態系そのものの崩壊へと、段階を追って移っていくからだ。 まず、膿痂疹。俗にとびひと呼ばれる病である。 これは、黄色ブドウ球菌(Staphylococcus aureus)や化膿レンサ球菌(Streptococcus pyogenes)とい

By Yukihiko Kato