腸という学校
前回は皮膚を、菌との関係が敵か隣人かで揺れる境界として見た。今度は、体の内側でいちばん大きな生態系に降りてゆく。
腸である。
皮膚が乾いた薄い被膜なら、腸は湿った濃密な発酵槽だ。大腸は、体でもっとも菌の密度が高い場所で、前述の俯瞰で触れた「150倍の遺伝子」の大半は、ここに由来する。また、腸の内腔(内側)は、位相のうえでは身体の外側にあたる。私たちは、外界と最も広い面積で接するこの境界を、菌に委ねて暮らしている。
では、その菌たちが腸で何をしているか?消化を助けている、というだけではない。腸は、免疫が「どこまで応じ、どこで鎮めるか」を習う、体内でもっとも大きな学校なのだ。
まず、腸の健やかさは、特定の善玉菌の有無ではなく、生態系全体の多様性と安定性によく表れる。皮膚編で「均衡」と呼んだものを、腸では「多様性」として引き継ぐ。多様な顔ぶれが揃い、互いに釣り合っているとき、腸の生態系は安定する。
では、その多様な菌は、何を介して免疫を教えるのか。
鍵は、菌の作る代謝物にある。腸内細菌は、私たちが消化できない食物繊維を発酵させ、短鎖脂肪酸(short-chain fatty acids、SCFAs。酢酸・プロピオン酸・酪酸)をつくる。なかでも酪酸が、免疫を鎮める側の細胞―制御性T細胞(regulatory T cells、Treg)―の分化を促す[1]。この制御性T細胞は、過剰な炎症やアレルギーの反応を抑える、免疫の調停役だ。
その促し方が、ただ数を増やすのではない点に、この話の奥行きがある。酪酸は、ヒストン脱アセチル化酵素(histone deacetylase、HDAC)のはたらきを抑える。すると、制御性T細胞への分化を決める中心的な遺伝子Foxp3(forkhead box P3)のまわりで、ヒストンのアセチル化が高まり、この遺伝子が読み出しやすくなる[1]。配列を書き換えるのではなく、使われやすくするのだ。後編で見た、環境が遺伝子の使われ方に印をつけるという話が、ここでは菌のつくる一分子として現れる。酪酸はこのほかにも、腸や免疫の細胞にある受容体を介する経路など、複数の道で制御性T細胞と炎症を抑える方向に働くことが示されている。
前編で「鎮める力」と呼んだものが、腸では、菌が繊維からつくる一分子の、遺伝子への働きかけとして説明できる。
では、その酪酸を生み、制御性T細胞を促すのは、誰か。
短鎖脂肪酸をつくるのは、繊維を発酵させる菌が広く担うが、なかでもClostridiumと呼ばれる一群が、制御性T細胞の誘導に深く関わる[2]。しかも、その関わりは、酪酸のような代謝物を介する道だけで説明されるわけではない。ヒトの腸内細菌から選び出したClostridiumの菌株を組み合わせて動物に与えると、腸の制御性T細胞が増え、その抑える力が強まった[3]。菌がつくり出す環境そのものが、教育に関わっている。教える道は、一本ではないのである。
この教育は、どこで崩れるのか。三つの崩れ方がある。
一つは、多様性の喪失だ。抗菌薬、繊維の乏しい食、分娩の様式や授乳のかたちが、都市的な暮らしのなかで、腸の多様性を削る。教える顔ぶれが減れば、教育そのものが貧弱になる。
二つは、バリアと炎症である。多様性が落ち、酪酸が減ると、腸の粘膜を守る力が弱まり、炎症が起きやすくなる。ただし、俗に「漏れる腸(leaky gut)」として語られる話には、確かな部分と誇張された部分が混じっている。ここでは、酪酸が粘膜の健やかさを支える、という確かな範囲にとどめておく。
三つは、全身への波及だ。腸で育った、あるいは育たなかった免疫の設定は、腸のなかにとどまらない。
この三つめが、連作の要になる。腸で較正された制御性T細胞や代謝物は、腸を越えて、全身の免疫の構えに影響する。皮膚編で、皮膚と腸は一つの生態系の別の部屋だと述べた。その部屋のあいだを、腸で教育された免疫がめぐる。アトピー、喘息、食物アレルギー―境界ごとに現れるこれらの不調が、腸の教育の不足という一点で、静かにつながっている可能性がある。
そして、この教育には、時間の窓がある。腸内細菌叢の骨格は、乳児期に大きく決まる。中編・後編で見た、免疫の設定が刻まれる早期の窓は、腸の生態系が形づくられる時期でもある。いつ、どんな菌と出会うか。それが、生涯の免疫の構えを方向づける。
腸の教育が食に支えられているなら、食の近代化は、その教育の資源を細らせているはずだ。
これを示す比較がある。高い繊維の伝統的な食を保つ西アフリカ・ブルキナファソの村の子どもと、ヨーロッパの子どもの腸内細菌を調べた研究では、繊維の豊かな食の子どものほうが、繊維を分解する菌に富み、短鎖脂肪酸も多かった[4]。繊維の乏しい西洋型の食は、酪酸をつくる菌の資源を細らせる。ただし、これは食と菌の関連を示すもので、そこから病までを一直線に結ぶには慎重でありたい。それでも、方向は指している。私たちの食の変化が、腸の教育の土台を痩せさせている、という方向を。
ここまで来ると、私たちは腸内細菌に、消化を助けてもらっているだけではなく、免疫の躾を委ねていると言ってよいのではないか。もし、そうだとしたら、繊維の乏しい食や、過剰な抗菌は、栄養の問題である以前に、免疫が学ぶ機会を奪う問題ではないか。腸を、養分を取り込む管としてではなく、免疫が育つ教室として見直すとき、日々の食は、別の意味を帯びてくる。
免疫の教育が人生の最初期に土台を得るのなら、アレルギーへの介入も、症状が出てからでは遅いのかもしれない。私自身、発症そのものを防ぐ予防のかたちを探る研究に取り組んでいる。その向かう先は、この連作がたどってきた道の、その手前にある。
腸は、消化の器官である前に、免疫が「どこまで応じ、どこで鎮めるか」を習う、体内最大の学校である。その教育は、菌の多様性と、菌が食物繊維からつくる代謝物を介して行われる。だから、腸の健やかさの核心は、特定の菌を足すことより、多様な生態系と、それを養う食を保つことにある。次に訪ねるのは、口だ。腸とはまた違うかたちで、生態系と全身とがつながる場所である。
文献
[1] Furusawa Y, Obata Y, Fukuda S, et al. Commensal microbe-derived butyrate induces the differentiation of colonic regulatory T cells. Nature. 2013;504(7480):446-450.
[2] Atarashi K, et al. Induction of colonic regulatory T cells by indigenous Clostridium species. Science. 2011;331(6015):337-341.
[3] Atarashi K, Tanoue T, Oshima K, et al. Treg induction by a rationally selected mixture of Clostridia strains from the human microbiota. Nature. 2013;500(7461):232-236.
[4] De Filippo C, Cavalieri D, Di Paola M, et al. Impact of diet in shaping gut microbiota revealed by a comparative study in children from Europe and rural Africa. Proc Natl Acad Sci U S A. 2010;107(33):14691-14696.