口という関門
これまで、皮膚を、腸を訪ねてきた。最後に訪ねるのは、口である。
口は、体のなかでも変わった場所だ。外界に開いた入口でありながら、同時に、消化管という長い管の始まりでもある。硬い面(歯)と軟らかい面(粘膜や舌)が同居する、体で唯一の場所でもある。歯の表面には、菌が自ら築くバイオフィルム(biofilm、菌がつくる膜状の集団)ー歯垢ーが張りつく。唾液に絶えず洗われながら、そこには多様で安定した生態系が保たれている。
この口の生態系が崩れるとき、何が起きるのか。そして、その崩れは、口のなかにとどまるのか。
手がかりは、歯周病(periodontitis)にある。成人の多くがかかる、ありふれた慢性の炎症性疾患だ。歯を支える組織が、じわじわと壊れていく。
長く、これは「悪い菌が増えて起こる病」と考えられてきた。だが、近年の見方は違う。
鍵をにぎるのは、菌の量ではなく、菌のふるまい方だ。Porphyromonas gingivalisという菌がいる。歯周病の患部にいるが、その数はごくわずかだ。にもかかわらず、この菌は、宿主による菌の排除のはたらきを鈍らせる。すると、まわりの常在菌の組成が、炎症を起こしやすい側へ組み替わってしまう[1]。量は少ないのに、生態系全体の性質を変えてしまうのだ。量は少ないのに、生態系全体の性質を変えてしまう。こうした菌を、キーストーン(keystone)病原体と呼ぶ。扇の要のように、それ自体はごく小さいのに、その一点しだいで全体がまとまり、あるいはばらける、そういう菌だ。
皮膚編では、同じ菌が状態しだいで隣人にも敵にもなる、と述べた。ここではその一歩先で、一種の菌が、群集全体の均衡そのものを握っている。
問題は、その崩れが、口のなかで終わらないことだ。
歯周病は、全身の病と結びついている。もっともよく確かめられているのは、糖尿病との関係だ。糖尿病は歯周病にかかりやすくし、その重症度を増す。逆に、歯周病は血糖の管理を悪くする。両方向に働く関係が、確立している[2]。このほか、心血管の病や、妊娠の転帰(早産や低出生体重)との関連も、くり返し報告されてきた。
ただし、これらの多くは疫学的な関連であって、歯周病を治せば全身の病が防げるかどうかは、まだ一定の結論が出ていない。それでも、口の局所の炎症が、全身の炎症と地続きでありうる、という方向は、はっきりしてきている。
その地続きを、いちばん具体的に見せてくれる道が、口と腸のあいだにある。
私たちは、1日におよそ1.5リットルの唾液を、無数の口の菌とともに飲み込んでいる。ふだん、その菌の多くは腸の生態系になじめず、通り過ぎる。だが、腸の生態系が乱れているとき、口から来た菌が腸に住みついてしまうことがある。実際、炎症性腸疾患(潰瘍性大腸炎やクローン病)の患者の唾液から採った菌を、無菌のマウスの腸に入れると、その菌が定着し、腸で炎症性の免疫細胞を強く呼び起こした[3]。腸編で「一つの生態系の別の部屋」と呼んだ、その部屋のあいだを、菌そのものが移っていく。口の乱れが、腸の乱れの引き金になりうるのだ。
ここにも、これまでと同じ糸が通っている。要となる菌がしたのは、宿主の免疫を欺いて、自分に都合のよい炎症をつくり出すことだった。前編で述べた、応じて鎮めるという免疫の較正が、この要となる菌に乗っ取られる。生態系の均衡を守るはずの免疫が、一種の菌によって、逆向きに使われるのである。
では、この崩れは、いつから増えたのか。
ここでも、暮らしの近代化が影を落としている。古代人の歯に残る歯石(dental calculus、石灰化した歯垢)には、その時代の口の菌のDNAが閉じ込められている。狩猟採集の時代から、農耕の開始、そして産業革命を経て現代までの歯石をたどった研究では、二つの大きな食の転換―穀物を主とする農耕と、精製された小麦粉や砂糖が広まった産業化―のあとで、口の菌の顔ぶれが変わり、多様性が下がって、う蝕(むし歯)に関わる菌が増えていた[4]。精製された糖と炭水化物が、口の生態系を、う蝕と歯周病に傾きやすいほうへ動かしたと考えられる。
口は、外界と体内をつなぎ、そして皮膚や腸や全身と、静かにつながっている。局所の小さな乱れが、全身へ波紋を広げるのだとしたら、健康の単位は、一つひとつの臓器なのだろうか。それとも、全身をめぐる、一つづきの生態系なのだろうか。問いは、最初の俯瞰へ還っていく。
口の健康とは、歯を無菌に磨き上げることではない。生態系の均衡を保つことだ。少数の要となる菌が群集を傾け、その波紋は、口を越えて全身に及ぶ。ここでも、健康は清潔さではなく、均衡だった。
四度にわたって、私たちは自分の生態系をたどってきた。
覆われた表面の集まりとして、私たちを見直した。皮膚で、敵か隣人かは菌の性質ではなく関係の状態だと知った。腸で、免疫が鎮め方を習う学校を見た。そして口で、局所の乱れが全身へ広がるさまを見た。四つを貫くのは、一つのことだ。健康とは、菌のいない清潔さではなく、生態系の均衡であり、その均衡は、皮膚から腸、口から全身へと、切れ目なくつながっている。
最初に、一つの問いを立てた。私たちが「一匹の動物」と呼んできたものは、一個の個体なのか、それとも一つの歩く生態系なのか、と。四度のめぐりを終えて、その問いは、答えというより、住みかを得た。私たちは、無菌の器であったことは一度もなく、覆われ、つながり、絶えず菌と交渉しながら、かろうじて均衡を保っている、一つの生態系なのである。
文献
[1] Hajishengallis G, Darveau RP, Curtis MA. The keystone-pathogen hypothesis. Nat Rev Microbiol. 2012;10(10):717-725.
[2] Preshaw PM, Alba AL, Herrera D, et al. Periodontitis and diabetes: a two-way relationship. Diabetologia. 2012;55(1):21-31.
[3] Atarashi K, Suda W, Luo C, et al. Ectopic colonization of oral bacteria in the intestine drives TH1 cell induction and inflammation. Science. 2017;358(6361):359-365.
[4] Adler CJ, Dobney K, Weyrich LS, et al. Sequencing ancient calcified dental plaque shows changes in oral microbiota with dietary shifts of the Neolithic and Industrial revolutions. Nat Genet. 2013;45(4):450-455.