敵か、隣人か―皮膚の三つの病

Share


前回、私たちは無菌の器ではなく、覆われた生態系だと述べた。その生態系のなかで、いちばん目に見えるのが皮膚である。皮膚は、外界と隔てる一枚の膜ではなく、場所ごとに気候の違う一つの地形だ。脂の多い額と、湿った腋窩と、乾いた前腕とでは、棲む菌の顔ぶれが違う。脂の領域にはCutibacterium(旧Propionibacterium)が、湿った領域にはStaphylococcusやCorynebacteriumが勢力を張る。同じ一人の体の上に、いくつもの異なる生態系が同居している。

ここでは、皮膚科医として日々診るありふれた三つの病―膿痂疹、にきび、アトピー性皮膚炎―を通して、この生態系と菌との関係が、どこで、どのように変わるのかを見ていく。この三つは、並べる順そのものが一つの論証になる。菌との関係が、外からの侵入から、内なる均衡の乱れ、そして生態系そのものの崩壊へと、段階を追って移っていくからだ。

まず、膿痂疹。俗にとびひと呼ばれる病である。

これは、黄色ブドウ球菌(Staphylococcus aureus)や化膿レンサ球菌(Streptococcus pyogenes)という、外から来た病原体が浅い皮膚に侵入して起こす、古典的な感染症だ。原因菌を見きわめ、叩けば治る。ここでは、菌は敵であり、除けば治る、という素朴なモデルが、正しく働く。危険因子は、過密、高温多湿、栄養の乏しさ、そして虫刺されや湿疹による皮膚の傷で、いずれも前近代の暮らしには普遍的な条件だった。だから、蜜色の痂皮をつくるこの浅い感染は、こうした条件がありふれていた時代には、ありふれた病であったと考えられる。興味深いことに、これは豊かさや都市化の病とはむしろ逆で、衛生と栄養が整うほど減っていく。そして、その原因菌が同定されたのは19世紀のことだった。敵を名指しして叩く、という近代医学の型が、この病にはきれいに当てはまる。ところが、以下の二つは、そうはいかない。膿痂疹は、そのための基準点として置いておく。

次に、にきび(尋常性痤瘡)。

モデルが崩れはじめるのはここだ。

にきびの主役とされるCutibacterium acnes(旧Propionibacterium acnes、2016年に菌名が改められた)は、脂の多い毛包に棲む、誰の皮膚にもいる常在菌だ。にきびは、外から来た病原体の侵入ではない。前述の俯瞰では、味方か敵かは菌の種類ではなく状態で決まる、と述べた。にきびでは、その違いが、種よりもさらに下の、系統型(phylotype)のレベルにまで及ぶ。同じC. acnesでありながら、健やかな肌に多い系統と、にきびの肌に多い系統とに分かれるのだ。

興味深いのは、にきびの肌でも健やかな肌でも、C. acnesの量そのものはさほど変わらない、という点である。変わるのは、どの系統が優勢か、だ。にきびの肌では、IA1と呼ばれる系統が突出し、系統の多様性が失われる。一方、健やかな肌では、II型など別の系統が保たれている[1]。なぜIA1が炎症に傾くのか―その系統が出す小胞や、特定の系統だけがもつ酵素や遺伝子が、皮膚の細胞から炎症のシグナルを引き出すのではないか―は、有力な仮説として調べられている段階で、系統と病原性の対応は、いまのところ厳密な因果といえず、傾向にとどまる。

そして、にきびの多さは、暮らしの近代化と重なる。非西洋的な食と生活を保つ二つの集団―パプアニューギニアのキタバ島民と、パラグアイのアチェの狩猟採集民―を調べた研究では、思春期の若者を含む1200人と115人に、にきびの症例が一つも確認されなかった。西洋社会では、思春期のおよそ8割から9割が経験する病が、である。著者らは、この隔たりは遺伝だけでは説明できず、環境の差によるものだろうと結論した[2]。高い血糖負荷や乳製品との関連も指摘されているが、いずれも観察研究が主で、因果の証明はまだだ。それでも、にきびは、暮らしの近代化が皮膚に書きつけたミスマッチの一例、と考えられる。

そして、アトピー性皮膚炎。

ここで、因果の向きが反転する。

膿痂疹では、外から入った菌が病を起こした。アトピーでは、順序が逆になる。まず生態系の均衡が崩れ、その結果として、ある菌が優勢になるのだ。症状の悪化する時期には、皮膚の菌の多様性が崩れ、ブドウ球菌、とりわけ黄色ブドウ球菌が増えて、その割合は重症度と相関する。そして治療によって多様性が戻り、健やかな肌に近い状態へ回復していく[3]。

ここで見落としてはならないのは、生態系が本来もっている、自らを守る仕組みだ。健やかな肌では、常在するコアグラーゼ陰性ブドウ球菌(coagulase-negative staphylococci、表皮ブドウ球菌など)が抗菌物質を出して、黄色ブドウ球菌の増殖を抑えている。ところがアトピーの肌では、この守り手が乏しい[4]。守り手を失った生態系で、病原体が台頭する。菌が崩れを生むのではなく、崩れが菌を招く。均衡の崩壊が先にあり、病原体の優占はその結果なのだ。

アトピーには、もう一つの層がある。遺伝と環境の掛け算だ。皮膚のバリアをつくる蛋白フィラグリン(filaggrin)の機能を失う遺伝子変異は、アトピーの強い素因として知られ、ヨーロッパ系の人々のおよそ9%が持っている[5]。だが、素因は昔からあった。それが病として現れるかどうかは、環境が決める。

しかも、この遺伝の素因は、集団によって姿が違う。ヨーロッパ系で多い変異は、日本人にはほとんど見られず、日本人には別の、固有のフィラグリン変異がある[6]。亜熱帯の石垣島の子どもを調べた研究では、フィラグリン変異をもつ子と、もたない子とで、アトピーへのなりやすさに差がなかった。つまり、この集団では、フィラグリン変異は、アトピーの素因として働いていなかったのだ。それでいて、この集団のアトピーの有病率は、決して低くなかった[7]。この事実は、フィラグリンだけではこの病を説明できず、環境の側―生態系の崩れを招く暮らしのありよう―が大きく効いていることを、逆から照らし出している。

アトピーは、ミスマッチが皮膚に現れた病であり、中編・後編で見た、免疫の設定が決まる早期の窓と、時間軸でつながっている。介入の最適な時期は、症状が出てからではなく、もっと手前にあるのではないか。その具体は、稿を改めて書くべきものだが、向かう先はそこにある。

三つの病を貫く糸を、一つだけ引いておきたい。常在菌が抗菌物質で黄色ブドウ球菌を抑えるという営みは、前編で述べた「鎮める力」が、皮膚という境界で働いている姿そのものである。旧友を含む常在菌の生態系を失うことは、免疫に「どこまで応じ、どこで鎮めるか」を教える学習を失うことだ。皮膚は、単独で完結してもいない。にきびと食や腸との関連、アトピーと腸内細菌叢や食物アレルギー(いわゆるアトピーマーチ)との縁―皮膚と腸は、離れた二つの臓器ではなく、一つの生態系の別の部屋として響き合っている。腸そのものはこれ以上触れず、次章に譲る。

ここまで来ると、一つの問いが立ち上がる。病原体とは、菌がもともと持つ性質なのか。それとも、菌と生態系との関係―均衡が保たれているか、崩れているか―で決まるものなのか。黄色ブドウ球菌は、健やかな皮膚では静かな住人であり、アトピーの皮膚では病を駆り立てる役になる。同じ菌が、共同体の状態しだいで、顔を変える。では、都市化とともに増えるこうした皮膚の病は、敵の侵入なのか、それとも共同体の崩壊なのか。少なくともにきびとアトピーは、後者を指している。にきびとアトピーが、いまの食、衛生、洗浄、抗菌、そして都市の環境に沿って動くのだとしたら、それは、皮膚に書かれた文明の病なのだろうか。問いとして残しておく。

膿痂疹、にきび、アトピー。三つを順に見て、菌との関係が、外からの侵入から、内なる均衡の乱れへ、そして生態系そのものの崩壊へと移っていくのを見た。健やかな皮膚とは、菌のいない清潔な皮膚のことではない。その生態系が、豊かに、釣り合いを保っていることを指す。同じ菌が、共同体の状態しだいで、隣人にも敵にもなる。少なくともにきびとアトピーでは、病は侵入ではなく不均衡として現れ、予防の向かうべき先は、菌を根絶することではなく、生態系を整えることにある。

文献

[1] Fitz-Gibbon S, Tomida S, Chiu BH, et al. Propionibacterium acnes strain populations in the human skin microbiome associated with acne. J Invest Dermatol. 2013;133(9):2152-2160.

[2] Cordain L, Lindeberg S, Hurtado M, Hill K, Eaton SB, Brand-Miller J. Acne vulgaris: a disease of Western civilization. Arch Dermatol. 2002;138(12):1584-1590.

[3] Kong HH, Oh J, Deming C, et al. Temporal shifts in the skin microbiome associated with disease flares and treatment in children with atopic dermatitis. Genome Res. 2012;22(5):850-859.

[4] Nakatsuji T, Chen TH, Narala S, et al. Antimicrobials from human skin commensal bacteria protect against Staphylococcus aureus and are deficient in atopic dermatitis. Sci Transl Med. 2017;9(378):eaah4680.

[5] Palmer CNA, Irvine AD, Terron-Kwiatkowski A, et al. Common loss-of-function variants of the epidermal barrier protein filaggrin are a major predisposing factor for atopic dermatitis. Nat Genet. 2006;38(4):441-446.

[6] Nomura T, et al. Unique mutations in the filaggrin gene in Japanese patients with ichthyosis vulgaris and atopic dermatitis. J Allergy Clin Immunol. 2007;119(2):434-440.

[7] Sasaki T, et al. Filaggrin loss-of-function mutations are not a predisposing factor for atopic dermatitis in an Ishigaki Island under subtropical climate. J Dermatol Sci. 2014;76(1):10. doi:10.1016/j.jdermsci.2014.06.004.

Read more

ホモサピエンスという生態系

私たちは自分のからだを、皮膚という一枚の壁で外界から隔てられた、内も外もない、中身の詰まった塊として思いがちだ。だが、その像は正確ではない。消化管は、口から肛門まで貫く一本の管である。その内腔は、位相のうえでは身体の「外側」にあたる。食べたものがからだの本当の内側に入るのは、腸の壁を通り抜けたそのときであって、それまでは、からだを貫く外のやわらかいトンネルを進んでいるにすぎない。皮膚も、口の中も、腸の内側も、肺の奥も、外界に開いたこれらの面には、ことごとく微生物が住み着いている。私たちは、閉じた塊ではなく、覆われた表面の集まりなのだ。 かつて、しばしば語られてきた数字がある。 微生物はヒトの細胞の10倍いる、という言い方である。 この「10対1」は長く広く引用されてきたが、たどってみると、1972年の一つの概算に行き着く、確かな計測に支えられない見積もりだった。近年、丁寧に数え直され、比はおよそ1対1に修正されている。70kgの標準的な成人男性で、細菌はおよそ38兆個、ヒト細胞はおよそ30兆個。細菌の総質量は、合わせてもおよそ0.2kgにすぎない[1]。私たちは、細胞の数のうえで

By Yukihiko Kato

免疫レジリエンスとは何か(後編)

中編の最後に、一つの問いを残した。カレリアもアーミッシュも、旧友との接触がアレルギーを防いでいた。だが効いていたのは、大人になってからの環境ではない。差は、人生のごく早い時期に刻まれていた。では、その決定的な時期は、いつか。そして、なぜそれほど早くに決められたものが、生涯にわたり続くのか。 この問いに正面から答えるのが、DOHaD(Developmental Origins of Health and Disease、健康と疾患の発生起源)という考え方である。胎児期から乳児期という発生のごく初期に受けた環境が、その時期にからだの基本設定を方向づけ、生涯にわたる健康や疾患のかかりやすさを決める。もとは、低出生体重の子が成人後に生活習慣病になりやすいという観察から始まった枠組みだが、その射程はもっと広い。ここでは、二つの人間の記録が、この考え方を鮮やかに、そして重層的に示している。 一つは、オランダの飢餓の冬(Dutch Hunger Winter)である。第二次世界大戦末期の1944年から1945年にかけて、ドイツ軍の封鎖により、それまで十分に食べていたオランダ西部が、突然の飢餓に陥

By Yukihiko Kato

免疫レジリエンスとは何か(中編)

前編で、免疫を強弱ではなく、察知し、過不足なく応答し、そして役目を終えたら鎮まる、という一連のしなやかさとして捉え直した。では、その鎮める力は、どこで身につくのか。生まれつき完成して備わっているのではないとすれば、何が育てるのか。あるいは、何がこわすのか? この見立てからすると、アレルギーは鎮める力がうまく働かない状態の典型である。花粉のような無害な相手に応答し、しかもその応答が止まらない。過剰に応じ、戻れない。アトピー性皮膚炎も、皮膚という境界で、この鎮まらなさが慢性の炎症として現れたものと見ることができる。問題は、なぜ現代で、この鎮める力の破綻がこれほど増えたのか、である。 かつて、その答えは衛生仮説(hygiene hypothesis)と呼ばれた。清潔になり、感染症が減ったから、免疫が退屈して無害なものに矛先を向けるようになった、という筋である。分かりやすいが、これは正確ではなかった。都市の子どもは、ありふれた小児感染症にむしろ多くさらされているのに、アレルギーは田舎の子より多い[1]。感染の多寡では説明がつかない。そこで、より正確な見方へと更新された。旧友仮説(old f

By Yukihiko Kato

免疫レジリエンスとは何か(前編)

「免疫力を上げる」という言葉が、街にあふれている。食品の棚にも、健康記事の見出しにも、どこでも見つかる。そこには一つの素朴な前提がある。免疫とは力であり、力は強いほどよい、という米国的な前提である。だが臨床の現場に立つ者は、これに違和感を感じる。強い免疫がそのまま健康を意味するなら、医師の仕事の少なからぬ部分は説明がつかない。 考えてみたい。花粉のような本来は無害な相手に、涙と鼻水で激しく応戦してしまうのがアレルギーである。自分自身の組織を外敵と取り違えて攻撃してしまうのが自己免疫疾患である。ウイルス感染への反応が暴走し、守るべき臓器まで焼き尽くしてしまうのがサイトカインの嵐(cytokine storm)である。これらはいずれも、免疫が足りないのではなく、強すぎる―正確には、出力を制御できていない―ことから生じる病だ。免疫を一本の強弱の軸の上に置き、その軸を上へ上へと押し上げることが健康だとする見方は、ここで早くも行き詰まる。上げた先にあるのは、しばしば病のほうなのである。 行き詰まりは、もう一段深いところにもある。そもそも「守る」という働き自体が、一つではない。免疫学が長く中心

By Yukihiko Kato