石器時代のからだで、都市に生きる

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ヒトという種が、いまの遺伝的な設計をほぼ完成させたのは、農耕も都市も知らない時代だった。火を扱い、集団で狩り、採集し、よく歩き、空腹と充足のあいだを行き来する。からだの仕組み、すなわち代謝も、免疫も、概日リズムも、ストレス応答も、そうした環境のなかで磨かれてきた。問題は、その環境が、ここ一万年、とりわけここ数百年で根本から変わったことにある。にもかかわらず、わたしたちのからだの設計は、ほとんど変わっていない。進化の時間と、文明の時間は、桁が違う。


この隔たりを、ここではミスマッチと呼ぶ。石器時代に最適化された生物としてのヒトと、それが置かれた現代の都市環境とのあいだの、構造的な不一致である。座りつづける生活、人工的な光に区切られた一日、過剰で精製された食、慢性的で出口のないストレス、土や微生物との接触の喪失。これらはどれも、進化の歴史のなかでヒトが経験してこなかった条件であり、からだはこれらにうまく応答する術を、まだ持っていない。


このミスマッチが具体的な姿をとったものが、非感染性疾患(NCDs、non-communicable diseases)だと考えている。心血管疾患、がん、糖尿病、慢性呼吸器疾患、そして私に馴染みの深いアトピー性皮膚炎をはじめとするアレルギー性疾患。これらは感染症のように外から来る敵ではなく、環境とからだの不一致から、いわば内側からゆっくり立ち上がってくる。世界保健機関(WHO)の推計では、世界の死の約75%が、この非感染性疾患によるものとされる[1]。現代人の死に方は、すでにこのミスマッチによって特徴づけられている。


ここで強調しておきたいのは、これは「自然に還れ」という主張ではない、ということである。都市を捨て、狩猟採集に戻ることはできないし、その必要もない。重要なのは、自分のからだがどういう環境のために設計されているのかを正しく理解し、現代の生活のなかに、その設計と折り合う条件を意図的に取り戻していくことである。何を食べ、どう動き、どんな光を浴び、どんな微生物と暮らし、どうやって回復するか。一つひとつは小さくとも、進化的な文脈に照らして選び直すことができる。


私がいま中心に据えている概念が、免疫レジリエンス(immune resilience)である。免疫を、強いか弱いかという一本の軸で捉えるのではなく、刺激に対して適切に応答し、過剰に反応せず、そして速やかに平静へ戻る、その回復力として捉える見方である。アレルギー性疾患は、この回復力が、現代の環境のもとで崩れたときに現れる。とりわけ、胎児期から乳児期という超早期の環境が、その後の生涯にわたる免疫のあり方を方向づけている可能性が、近年の研究で次第に見えてきた。ここに、ミスマッチを巻き戻し、疾患をごく早い段階で予防する余地があると考えている。


このサイトでは、こうした見方を、臨床の経験と、国内外の研究を行き来しながら、少しずつ言葉にしていく。石器時代のからだで都市に生きるとはどういうことか。その問いを、急がず、しかし手を緩めず、考えていきたい。

[1] World Health Organization. Noncommunicable diseases: mortality [Internet]. Geneva: World Health Organization; 2024 [cited 2026 Jun 28]. Available from: https://www.who.int/data/gho/data/themes/topics/topic-details/GHO/ncd-mortality

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ジムの前に

前編で、座りすぎの害は、座るという姿勢ではなく、筋を休ませきったまま時間が長く続くことにある、と述べた。体は、動くことを信号として、自らを整えるようにできている。では、その信号を、どう灯せばよいのか。 タンザニアのハザ(Hadza)は、いまも狩猟採集で暮らす人々である。彼らは、ジムに通わない。にもかかわらず、心臓や血管の病を、ほとんど免れている。意外なことに、彼らが座ったり横たわったりして過ごす時間は、1日におよそ10時間に及び、先進国のオフィスワーカーと、ほとんど変わらない[1]。 違うのは、過ごし方だ。 ハザの身体活動は、狩り、採集、歩行、しゃがんでの作業といった、低いか中くらいの強度の動きが、1日じゅう、途切れずに続くことで成り立っている。まとまった激しい運動ではない。分散した、絶え間ない活動。そして休むときも、椅子に沈み込むのではなく、しゃがみ、ひざまずき、地面に座る。これらの姿勢は、脚の筋肉を、歩行の2〜4割ほど使い続ける[1]。前編の言葉でいえば、

By Yukihiko Kato

椅子という発明

座りすぎは、新しい喫煙である。この言葉を、ここ十年ほど、よく耳にするようになった。都会で一日中座って過ごす暮らしは、タバコと同じくらい体に悪い、と。 だが、これは正確ではない。 数字で見ると、座位と喫煙の害は、桁が違う。座りすぎと総死亡の関連は、よく見積もっても2割ほどの増加にとどまる。喫煙は3倍近く、本数の多い人では4倍を超える。超過死亡の数で比べれば、その差はおよそ10倍にひらく[1]。「喫煙と同じ」は、10倍に盛った誇張であり、むしろ健康の啓発そのものの信頼を損なうと、研究者から批判されてきた[1]。 では、ただの言い過ぎなのか。そうではない。座りすぎは、確かに、独立した健康リスクである。問うべきは、その害の大きさではなく、性質のほうだ。 害の正体は、座るという姿勢そのものにあるのではない。筋肉を完全に休ませたまま、長く動かずにいることにある。椅子に深く腰かけ、背もたれに身をあずけると、脚の筋肉はほとんど働かなくなる。筋が完全に弛緩すると、血中の脂肪を片づける酵素リポ蛋白リパーゼ(lipoprotein lipase、LPL)の働きが落ち、食後の中性脂肪が血中に長くとどま

By Yukihiko Kato

口という関門

これまで、皮膚を、腸を訪ねてきた。最後に訪ねるのは、口である。 口は、体のなかでも変わった場所だ。外界に開いた入口でありながら、同時に、消化管という長い管の始まりでもある。硬い面(歯)と軟らかい面(粘膜や舌)が同居する、体で唯一の場所でもある。歯の表面には、菌が自ら築くバイオフィルム(biofilm、菌がつくる膜状の集団)ー歯垢ーが張りつく。唾液に絶えず洗われながら、そこには多様で安定した生態系が保たれている。 この口の生態系が崩れるとき、何が起きるのか。そして、その崩れは、口のなかにとどまるのか。 手がかりは、歯周病(periodontitis)にある。成人の多くがかかる、ありふれた慢性の炎症性疾患だ。歯を支える組織が、じわじわと壊れていく。 長く、これは「悪い菌が増えて起こる病」と考えられてきた。だが、近年の見方は違う。 鍵をにぎるのは、菌の量ではなく、菌のふるまい方だ。Porphyromonas gingivalisという菌がいる。歯周病の患部にいるが、その数はごくわずかだ。にもかかわらず、

By Yukihiko Kato

腸という学校

前回は皮膚を、菌との関係が敵か隣人かで揺れる境界として見た。今度は、体の内側でいちばん大きな生態系に降りてゆく。 腸である。 皮膚が乾いた薄い被膜なら、腸は湿った濃密な発酵槽だ。大腸は、体でもっとも菌の密度が高い場所で、前述の俯瞰で触れた「150倍の遺伝子」の大半は、ここに由来する。また、腸の内腔(内側)は、位相のうえでは身体の外側にあたる。私たちは、外界と最も広い面積で接するこの境界を、菌に委ねて暮らしている。 では、その菌たちが腸で何をしているか?消化を助けている、というだけではない。腸は、免疫が「どこまで応じ、どこで鎮めるか」を習う、体内でもっとも大きな学校なのだ。 まず、腸の健やかさは、特定の善玉菌の有無ではなく、生態系全体の多様性と安定性によく表れる。皮膚編で「均衡」と呼んだものを、腸では「多様性」として引き継ぐ。多様な顔ぶれが揃い、互いに釣り合っているとき、腸の生態系は安定する。 では、その多様な菌は、何を介して免疫を教えるのか。 鍵は、菌の作る代謝物にある。腸内細菌は、

By Yukihiko Kato