免疫レジリエンスとは何か(中編)

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前編で、免疫を強弱ではなく、察知し、過不足なく応答し、そして役目を終えたら鎮まる、という一連のしなやかさとして捉え直した。では、その鎮める力は、どこで身につくのか。生まれつき完成して備わっているのではないとすれば、何が育てるのか。あるいは、何がこわすのか?

この見立てからすると、アレルギーは鎮める力がうまく働かない状態の典型である。花粉のような無害な相手に応答し、しかもその応答が止まらない。過剰に応じ、戻れない。アトピー性皮膚炎も、皮膚という境界で、この鎮まらなさが慢性の炎症として現れたものと見ることができる。問題は、なぜ現代で、この鎮める力の破綻がこれほど増えたのか、である。

かつて、その答えは衛生仮説(hygiene hypothesis)と呼ばれた。清潔になり、感染症が減ったから、免疫が退屈して無害なものに矛先を向けるようになった、という筋である。分かりやすいが、これは正確ではなかった。都市の子どもは、ありふれた小児感染症にむしろ多くさらされているのに、アレルギーは田舎の子より多い[1]。感染の多寡では説明がつかない。そこで、より正確な見方へと更新された。旧友仮説(old friends hypothesis)である[1]。

旧友仮説の核心はこうだ。私たちの免疫は、進化の長い時間を通じて共に歩んできた微生物や寄生虫―土や動物や水や、母から子へ受け継がれる常在菌といった「旧友」―からの絶え間ない入力を受けて、初めて正しく育つ。これらの旧友は、排除すべき敵ではなく、免疫に「どこまで応じ、どこで鎮めるか」を教える教師だった。旧友仮説が説くのは、現代の慢性炎症性疾患の広がりが、清潔さそのものではなく、この教師たちとの接触が失われたこと、すなわち共進化してきた相手への進化的な依存が満たされないことによる、免疫調節の広範な破綻だという見立てである[1]。

ここで、私が強調したいのは、この教育がまず自然免疫の層で起きる、という点だ。旧友がもつ特有の分子の構造を、からだの最前線に配されたパターン認識受容体(pattern recognition receptors)が感知する。その入力を受けて、自然リンパ球(innate lymphoid cells)をはじめとする自然免疫の担い手が、応答の調子を整えていく。過剰に燃え上がらず、必要なだけ応じて鎮める、という構えは、この自然免疫の較正の上に築かれ、その先で獲得免疫側の調節と連携する。そして重要なのは、この教育の現場が皮膚だけではないことだ。皮膚も、腸管も、肺も、外界と接するすべての境界で、旧友は日々、自然免疫を訓練している。アトピー性皮膚炎は皮膚に現れた一例にすぎず、喘息は気道に、炎症性腸疾患は腸に現れた、同じ破綻の別の顔である。

この見立てを裏付ける二つの自然実験が鮮やかである。

一つはカレリア(Karelia)である。フィンランドとロシアの国境をはさんで隣り合うこの地域は、地理も気候も似て、人々は同じ遺伝的背景を共有している。それなのに、アレルギーの有無が大きく違う。シラカバ花粉への感作は、ロシア側で2%、フィンランド側で27%にのぼった[2]。同じ遺伝背景を持つ民が、国境の東と西というだけで、これほど分かれる。しかもこの差は、初めからあったのではない。第2次世界大戦後の鉄のカーテンによって、かつて、存在しなかった差が、何倍もの開きへと広がっていった[2]。豊かで近代化したフィンランド側で、旧友との接触が薄れるにつれ、アレルギーが増えたのである。遺伝ではなく、環境と暮らしが、免疫の運命を分けた。

これを聞くと、北欧やロシアの、遠い土地の話に思えるかもしれない。だが、世界で最も豊かな先進国であるアメリカの、その内部にも、アトピーの少ない地域が存在する。二つめの実験、アーミッシュ(Amish)である。アーミッシュとフッター派(Hutterite)は、ともにアメリカの農業を営む集団で、遺伝的祖先も生活様式もよく似ている。違うのは農法だけだ。アーミッシュは伝統的な、家畜と土に近い農業を守り、フッター派は農耕機械など近代的な農法を用いる。その一点の違いが、免疫を分けた。喘息とアレルギー感作の有病率は、アーミッシュで四倍・六倍低く、アーミッシュの家の塵に含まれる微生物由来のエンドトキシンは、六・八倍も高かった[3]。

この研究が決定的なのは、その保護が自然免疫を介することを、正面から示した点にある。両群の子どもでは、自然免疫細胞の割合も、表現型も、働きも、著しく違っていた。さらにマウスの実験で、アーミッシュの家の塵の抽出物は、アレルギー性の気道過敏と好酸球の増加を抑えたが、フッター派のものは抑えなかった。そしてこの保護効果は、自然免疫のシグナル伝達に欠かせない分子を失わせたマウスでは、消えてしまった[3]。旧友の刺激が、自然免疫という回路を通じて、アレルギー的な過剰反応そのものを鎮めていた。逆に言えば、自然免疫への刺激が弱いとき、アレルギーへの傾きは強まる。前編の言葉でいえば、旧友を失った免疫は、応じることは覚えても、鎮めることを学べないまま育つのである。

カレリアとアーミッシュに、もう一つ共通する条件を見落としてはならない。人口の移動が少ないことだ。フィンランドとロシアのカレリア人も、アーミッシュも、長く同じ土地に定住し、世代を超えて、同じ旧友たちと関係を結びつづけてきた集団である。旧友との関係は、一度きりの出会いでは足りない。世代をまたいで持続する接触があって初めて、免疫は安定して鎮め方を受け継いでいける。都市の暮らしは、まさにこの持続を断つ。人が絶えず移動し、土から離れ、旧友との縁が世代ごとに細くなる。カレリアのフィンランド側で起きたのも、アーミッシュとフッター派を分けたのも、突きつめれば、この旧友との関係を保てているかどうかだった。

ここまでを、前編とつなぎ直しておく。免疫レジリエンスとは、しなやかに応じて鎮める力だった。その鎮める力は、旧友との絶え間ない接触を通じて、皮膚や腸や肺の境界で、自然免疫がまず育てる。旧友を失った現代の都市環境は、この教育の機会を奪い、免疫を、応答はできても鎮められない状態に置く。アトピー性皮膚炎も喘息も、その帰結として現れる。ミスマッチは、こうして具体的な病のかたちをとる。

残る問いは、時間である。カレリアもアーミッシュも、効いているのは大人になってからの環境ではない。差は、人生のごく早い時期に刻まれていた。いつ旧友と出会うかが、生涯の鎮める力を方向づけるのだとしたら、その決定的な窓は、どこにあるのか。胎児期から乳児期にかけての、最初期の環境が持つ意味を問うのが、後編の仕事である。

文献

[1] Rook GAW. The old friends hypothesis: evolution, immunoregulation and essential microbial inputs. Front Allergy. 2023;4:1220481.

[2] Haahtela T, Laatikainen T, Alenius H, et al. Hunt for the origin of allergy—comparing the Finnish and Russian Karelia. Clin Exp Allergy. 2015;45(5):891-901.

[3] Stein MM, Hrusch CL, Gozdz J, et al. Innate immunity and asthma risk in Amish and Hutterite farm children. N Engl J Med. 2016;375(5):411-421.

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ホモサピエンスという生態系

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免疫レジリエンスとは何か(後編)

中編の最後に、一つの問いを残した。カレリアもアーミッシュも、旧友との接触がアレルギーを防いでいた。だが効いていたのは、大人になってからの環境ではない。差は、人生のごく早い時期に刻まれていた。では、その決定的な時期は、いつか。そして、なぜそれほど早くに決められたものが、生涯にわたり続くのか。 この問いに正面から答えるのが、DOHaD(Developmental Origins of Health and Disease、健康と疾患の発生起源)という考え方である。胎児期から乳児期という発生のごく初期に受けた環境が、その時期にからだの基本設定を方向づけ、生涯にわたる健康や疾患のかかりやすさを決める。もとは、低出生体重の子が成人後に生活習慣病になりやすいという観察から始まった枠組みだが、その射程はもっと広い。ここでは、二つの人間の記録が、この考え方を鮮やかに、そして重層的に示している。 一つは、オランダの飢餓の冬(Dutch Hunger Winter)である。第二次世界大戦末期の1944年から1945年にかけて、ドイツ軍の封鎖により、それまで十分に食べていたオランダ西部が、突然の飢餓に陥

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免疫レジリエンスとは何か(前編)

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