免疫レジリエンスとは何か(後編)

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中編の最後に、一つの問いを残した。カレリアもアーミッシュも、旧友との接触がアレルギーを防いでいた。だが効いていたのは、大人になってからの環境ではない。差は、人生のごく早い時期に刻まれていた。では、その決定的な時期は、いつか。そして、なぜそれほど早くに決められたものが、生涯にわたり続くのか。

この問いに正面から答えるのが、DOHaD(Developmental Origins of Health and Disease、健康と疾患の発生起源)という考え方である。胎児期から乳児期という発生のごく初期に受けた環境が、その時期にからだの基本設定を方向づけ、生涯にわたる健康や疾患のかかりやすさを決める。もとは、低出生体重の子が成人後に生活習慣病になりやすいという観察から始まった枠組みだが、その射程はもっと広い。ここでは、二つの人間の記録が、この考え方を鮮やかに、そして重層的に示している。

一つは、オランダの飢餓の冬(Dutch Hunger Winter)である。第二次世界大戦末期の1944年から1945年にかけて、ドイツ軍の封鎖により、それまで十分に食べていたオランダ西部が、突然の飢餓に陥った。公式の配給は、1人あたり1日およそ900kcalにまで落ちた[1]。悲劇だが、疫学にとっては稀有な記録でもあった。飢餓の始まりと終わりが明確に区切られ、母がいつ飢餓を経験したか――受胎の前後か、妊娠の初期か、後期か――で、生まれた子の生涯を追える。追跡の結果、胎児期に飢餓を経験した人々は、数十年を経て、成人後の肥満、糖尿病、冠動脈疾患など健康に影響が残っていた[1]。同じ集団が、母の胎内にいた数か月の栄養状態というだけで、その後の人生を左右した。

この研究が決定的なのは、なぜ生涯続くのか、その機序にまで踏み込んだ点にある。飢餓の冬に胎児期にさらされた人は、60年後になっても、飢餓にさらされなかった同性のきょうだいと比べて、ある遺伝子(IGF2)のDNAメチル化が低かった[2]。DNAメチル化とは、遺伝子そのものの配列を変えずに、その遺伝子を使うか使わないかの印をつける仕組みで、エピジェネティクスと呼ばれる領域の中心にある。つまり、受胎前後というごく初期の環境が、遺伝子の使われ方に印をつけ、その印が60年ものあいだ消えずに残っていた。しかもこの効果は、受胎前後の曝露に特異的だった[2]。生命のごく初期こそが、こうした印を刻む決定的な窓であることを、この事実は示している。

もう一つは、西アフリカのガンビアである。毎年くり返す雨季と乾季で、母親が口にできる食べものが大きく変わる。それだけで、いつ受胎したかによって、生まれた子のDNAメチル化が違ってくる。栄養的に厳しい雨季に受胎した子では、ある遺伝子のメチル化が高くなっており、これは受胎前後の環境が、ヒトのエピジェノタイプに永続的で全身的な影響を及ぼす、最初の証拠となった[3]。さらに研究は進み、受胎期の母のメチル供与にかかわる栄養素の状態が、乳児のメチル化を予測することが示された[4]。オランダの飢餓が一度きりの悲劇なら、ガンビアは自然のリズムのなかでくり返される日常である。その両方が、同じことを指している。母を通じて受け取る超早期の環境が、遺伝子の使われ方に印を残し、それが長く続く。

なぜ生涯続くのか。エピジェネティクスの印は、細胞が分裂しても受け継がれ、時に一生のあいだ保たれる。だから、ごく早期の一時期に刻まれた設定が、その後の人生を貫く。だから、ごく早期の一時期に刻まれた設定が、その後の人生を貫く。この仕組みは、私自身の研究生活を通じての最大の関心の一つでもあり、別の論考に値する。ここでは、早期の環境が印を通じて生涯の設定を決める、という原理を確認するに留めておく。

ここで、注意深く境界を引いておきたい。オランダの飢餓もガンビアも、示しているのは栄養や代謝とエピジェネティクスの話であって、アレルギーや免疫そのものの帰結を直接測ったものではない。したがって、そのまま免疫の話に置き換えることはできない。

では、アレルギーの領域そのものに、エピジェネティクスの研究はないのか。  ある。

中編で見たカレリアで、自然免疫にかかわる遺伝子CD14のメチル化が調べられている。CD14は、旧友の目印であるエンドトキシンを感知する受容体で、まさに自然免疫の最前線に立つ分子だ。研究では、このCD14のメチル化に、フィンランド側とロシア側で差が認められた[5]。環境の違いが、免疫にかかわる遺伝子の使われ方の差として、確かに刻まれていたのである。ただし、慎重でなければならない。この研究者自身が結論づけているとおり、その差だけで、二つの地域のアレルギーの違いを説明できるわけではない[5]。刻まれていることは見て取れる。だが、それがアレルギーを決定づけるとまでは、まだ言えない。この抑制を守ったうえで、原理を免疫に当てはめてみる。

前編と中編で見たとおり、免疫レジリエンス―しなやかに応じて鎮める力―は、生まれつき完成しているのではなく、旧友との接触を通じて、自然免疫の層でまず育てられるものだった。もしそうなら、その育成にも、決定的な窓があるはずだ。免疫が「どこまで応じ、どこで鎮めるか」の基本設定を作るのは、おそらく胎児期から乳児期にかけての、まさにこの超早期である。母の常在菌、産道、母乳、そして乳児期に出会う環境。これらを通じて旧友と出会えるかどうかが、生涯の免疫の構えを方向づける。免疫におけるDOHaDである。

この見立ては、中編で残した問いに、そのまま答えを返すことになる。カレリアとアーミッシュで効いているのが早期の曝露なのは、免疫レジリエンスの設定を作る窓が、そこにあるからだ。豊かで近代化したフィンランド側の子が、アーミッシュではなくフッター派の子が、アレルギーに傾いたのは、この窓の時期に、旧友との出会いが足りなかったから、と読める。環境という横軸だけでは足りなかった理由が、これで見える。いつ出会うか、という時間の縦軸が、決定的だったのである。

これらから、予防のかたちが、おのずと変わってくる。免疫レジリエンスの設定が人生の最初期に決まるのなら、アレルギーへの介入の最適な時期は、症状が出てからではない。もっと手前、この超早期の窓にある。症状を抑える医療から、発症そのものを未然に防ぐ医療へ。時間の軸を、症状の後から、発生の初期へと移すこと。これが、免疫レジリエンスという見方が最後に指し示す方向である。私自身、この考えに立って、アレルギーを発症の前に防ぐことをめざす研究に取り組んでいる。向かう先は、この論考が三度にわたってたどってきた道の、その先にある。

三度にわたって、免疫を見直してきた。強さではなく、しなやかさとして。その力は、旧友との接触を通じて、境界の自然免疫が育てる。そして、その育成には、母を通じた超早期という決定的な窓がある。石器時代のからだは、この窓で旧友と出会うことを前提に設計されていた。都市という環境は、その前提を、最も早い時期から崩している。ミスマッチは、生まれる前から始まっているのかもしれない。だとすれば、取り戻すべきものも、そこにある。

文献

[1] de Rooij SR, Bleker LS, Painter RC, Ravelli AC, Roseboom TJ. Lessons learned from 25 years of research into long-term consequences of prenatal exposure to the Dutch famine 1944–45: the Dutch famine Birth Cohort. Int J Environ Health Res. 2022;32(7):1432-1446

[2] Heijmans BT, Tobi EW, Stein AD, et al. Persistent epigenetic differences associated with prenatal exposure to famine in humans. Proc Natl Acad Sci U S A. 2008;105(44):17046-17049.

[3] Waterland RA, Kellermayer R, Laritsky E, et al. Season of conception in rural Gambia affects DNA methylation at putative human metastable epialleles. PLoS Genet. 2010;6(12):e1001252.

[4] Dominguez-Salas P, Moore SE, Baker MS, et al. Maternal nutrition at conception modulates DNA methylation of human metastable epialleles. Nat Commun. 2014;5:3746.

[5] Khoo SK, Read J, Franks K, et al. No simple answers for the Finnish and Russian Karelia allergy contrast: methylation of CD14 gene. Pediatr Allergy Immunol. 2016;27(4):391-397.

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