進化の時計と、文明の時計

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夜明け、窓の外で一羽の小鳥の澄んだ声が、薄明の空にひとつ、またひとつと音を重ねていく。その小さな喉の奥に、一億五千万年の時間が畳み込まれていることを、ふだん忘れている。かつて、羊歯の生い茂る原始の森を、羽毛をまとった獰猛な肉食恐竜が駆けていた。鋭い爪、長い尾、獲物を捉える眼。その系譜の末に、いま、朝の光を浴びてさえずる小鳥がいる[1]。獣からこの歌声へ。羽毛も、叉骨も、空を掴む翼も、何千万年という歳月をかけて、少しずつ組み上げられていった。その尺度からすれば、わたしたち人類が農耕を始めてからの一万年、産業化してからの二百年あまりは、指をぱちんと鳴らす瞬間にも満たない。

ここに、二つの時計がある。一つは、からだの設計図を書き換える、進化の時計。これは氷河期がいくつも巡るほどの、気の遠くなる遅さで動く。遺伝子が変化するには、無数の世代を通じた淘汰の積み重ねが要るからだ。もう一つは、わたしたちの暮らす世界が変わる、文明の時計。こちらは、ここ数十年で目まぐるしく回る。二つの時計の針は、もちろん同じ速さでは進まない。

医師として患者を診ていると、この時計のずれを、からだそのものの中に感じることがある。たとえば血糖だ。ヒトのからだは、血糖値を上げる仕組みを何重にも備えている。ところが、血糖値を下げるホルモンは、事実上インスリンただ一つしかない。なぜこれほど偏っているのか。おそらく、長い進化の歴史の大半において、わたしたちの祖先にとっての問題は、あふれる糖をいかに捌くかではなく、飢えをいかに凌ぐかだったからである。糖は下げる必要などほとんどなく、蓄えこそが生き延びる術だった[2]。

その、飢餓を生き延びるために研ぎ澄まされたからだが、いま、かつてない豊かさの中に置かれている。設計された環境と、現に生きる環境との、この深い隔たり。それが、現代の慢性疾患の背景に横たわっている[3]。わたしたちは、恐竜の時代から受け継いだ時計を抱えたまま、文明の時計が刻む速さの中を、生きている。

参考文献

[1] Brusatte SL, O'Connor JK, Jarvis ED. The origin and diversification of birds. Curr Biol. 2015;25(19):R888-R898.

[2] Neel JV. Diabetes mellitus: a "thrifty" genotype rendered detrimental by "progress"? Am J Hum Genet. 1962;14(4):353-362.

[3] Lea AJ, Clark AG, Dahl AW, Devinsky O, Garcia AR, Golden CD, et al. Applying an evolutionary mismatch framework to understand disease susceptibility. PLoS Biol. 2023;21(9):e3002311.

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ジムの前に

前編で、座りすぎの害は、座るという姿勢ではなく、筋を休ませきったまま時間が長く続くことにある、と述べた。体は、動くことを信号として、自らを整えるようにできている。では、その信号を、どう灯せばよいのか。 タンザニアのハザ(Hadza)は、いまも狩猟採集で暮らす人々である。彼らは、ジムに通わない。にもかかわらず、心臓や血管の病を、ほとんど免れている。意外なことに、彼らが座ったり横たわったりして過ごす時間は、1日におよそ10時間に及び、先進国のオフィスワーカーと、ほとんど変わらない[1]。 違うのは、過ごし方だ。 ハザの身体活動は、狩り、採集、歩行、しゃがんでの作業といった、低いか中くらいの強度の動きが、1日じゅう、途切れずに続くことで成り立っている。まとまった激しい運動ではない。分散した、絶え間ない活動。そして休むときも、椅子に沈み込むのではなく、しゃがみ、ひざまずき、地面に座る。これらの姿勢は、脚の筋肉を、歩行の2〜4割ほど使い続ける[1]。前編の言葉でいえば、

By Yukihiko Kato

椅子という発明

座りすぎは、新しい喫煙である。この言葉を、ここ十年ほど、よく耳にするようになった。都会で一日中座って過ごす暮らしは、タバコと同じくらい体に悪い、と。 だが、これは正確ではない。 数字で見ると、座位と喫煙の害は、桁が違う。座りすぎと総死亡の関連は、よく見積もっても2割ほどの増加にとどまる。喫煙は3倍近く、本数の多い人では4倍を超える。超過死亡の数で比べれば、その差はおよそ10倍にひらく[1]。「喫煙と同じ」は、10倍に盛った誇張であり、むしろ健康の啓発そのものの信頼を損なうと、研究者から批判されてきた[1]。 では、ただの言い過ぎなのか。そうではない。座りすぎは、確かに、独立した健康リスクである。問うべきは、その害の大きさではなく、性質のほうだ。 害の正体は、座るという姿勢そのものにあるのではない。筋肉を完全に休ませたまま、長く動かずにいることにある。椅子に深く腰かけ、背もたれに身をあずけると、脚の筋肉はほとんど働かなくなる。筋が完全に弛緩すると、血中の脂肪を片づける酵素リポ蛋白リパーゼ(lipoprotein lipase、LPL)の働きが落ち、食後の中性脂肪が血中に長くとどま

By Yukihiko Kato

口という関門

これまで、皮膚を、腸を訪ねてきた。最後に訪ねるのは、口である。 口は、体のなかでも変わった場所だ。外界に開いた入口でありながら、同時に、消化管という長い管の始まりでもある。硬い面(歯)と軟らかい面(粘膜や舌)が同居する、体で唯一の場所でもある。歯の表面には、菌が自ら築くバイオフィルム(biofilm、菌がつくる膜状の集団)ー歯垢ーが張りつく。唾液に絶えず洗われながら、そこには多様で安定した生態系が保たれている。 この口の生態系が崩れるとき、何が起きるのか。そして、その崩れは、口のなかにとどまるのか。 手がかりは、歯周病(periodontitis)にある。成人の多くがかかる、ありふれた慢性の炎症性疾患だ。歯を支える組織が、じわじわと壊れていく。 長く、これは「悪い菌が増えて起こる病」と考えられてきた。だが、近年の見方は違う。 鍵をにぎるのは、菌の量ではなく、菌のふるまい方だ。Porphyromonas gingivalisという菌がいる。歯周病の患部にいるが、その数はごくわずかだ。にもかかわらず、

By Yukihiko Kato

腸という学校

前回は皮膚を、菌との関係が敵か隣人かで揺れる境界として見た。今度は、体の内側でいちばん大きな生態系に降りてゆく。 腸である。 皮膚が乾いた薄い被膜なら、腸は湿った濃密な発酵槽だ。大腸は、体でもっとも菌の密度が高い場所で、前述の俯瞰で触れた「150倍の遺伝子」の大半は、ここに由来する。また、腸の内腔(内側)は、位相のうえでは身体の外側にあたる。私たちは、外界と最も広い面積で接するこの境界を、菌に委ねて暮らしている。 では、その菌たちが腸で何をしているか?消化を助けている、というだけではない。腸は、免疫が「どこまで応じ、どこで鎮めるか」を習う、体内でもっとも大きな学校なのだ。 まず、腸の健やかさは、特定の善玉菌の有無ではなく、生態系全体の多様性と安定性によく表れる。皮膚編で「均衡」と呼んだものを、腸では「多様性」として引き継ぐ。多様な顔ぶれが揃い、互いに釣り合っているとき、腸の生態系は安定する。 では、その多様な菌は、何を介して免疫を教えるのか。 鍵は、菌の作る代謝物にある。腸内細菌は、

By Yukihiko Kato